アルバータ山を初登頂した日本人は登山家 槙有恒!銀のピッケルものがたりで話題に!

TBSの世界遺産でカナディアン・ロッキーのアルバータ山に初登頂した日本人を紹介していました。

1921年9月カナダのアルバータ山に初登頂した日本人、それは槙有恒(まきありつね:宮城県出身、慶応大学卒)さんです。

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カナダのアルバータ山、しかも1921年9月の登頂という事は・・ほとんど100年前の話ですよ!ビックリしました。

100年も前にカナダに行く日本の登山家がいたなんて。

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槙有恒さんがアルバータ山に初登頂した記念として、頂上に銀のピッケルを置いていった。その後、銀ピッケルがアメリカ人登山家が持って帰り、アナザーストーリー(別の物語)で話題になりました。

登山家 槙有恒さんがどんな人だったのか?なぜカナダで日本人がアルバータ山を登頂するキッカケがあったのか?いろいろと知りたい事はあります。

特に気になったのが、なぜアルバータ山の頂上で銀のピッケルを立てたのか?調べてみたら、納得の理由があったのです。

槙有恒さんがアルバータ山の初登頂!頂上で銀のピッケルを立てた理由とは?

1925年(大正14年)、早川種三らとともにカナダのアルバータ山世界初登頂に成功、その際頂上に細川護立侯爵から預かった銀のピッケルを立てた。

ウィキペディアに答えが書いてありました。つまり当時の日本の官僚だった細川護立侯爵の銀のピッケルを頂上で立てたのです。

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それ以上の答えは見つけることはできず、残念!

恐らく、いろいろとお世話になった細川護立さんとともに頂上にいます!という気持ちを示すためだったのかもしれませんね。

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もしそうならば、槙有恒さんめちゃくちゃいい人ですね。

でも槙有恒さんと官僚の細川護立さんとはどういう関係だったのでしょうか?

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細川護立さんは1883年生まれ、槙有恒さんは1894年で約9歳離れています。

細川護立さんのウィキペディアを見る限り、海外とは縁がない感じなんですが。

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逆に槙有恒さんは大正時代にアメリカコロンビア大学留学やヨーロッパ2年間滞在中にスイスで登山したり、大正時代とは思えない経歴ですね・・汗

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